唐招提寺

  1. 唐招提寺は鑑真和上が天平宝字3年(759年)に戒壇をもうけ私立学問所をひらいたのが起こり。寺名は唐の国から来朝した鑑真の招提、すなわち仏のもとで修行する場から生まれたといわれている。国家予算をつぎこんだ官寺と違い、成り立ちはつつましいが、もっとも天平の香りを残す寺として名高い。
  2. 鑑真は楊州大明寺の律僧で、戒律の第一人者であった。二人の日本人学問僧の懇請をうけて鑑真は来日を決意したが、航海技術の未熟な頃とて、5度も渡航に失敗し、鑑真の一行がようやく日本にたどり着いたのは、12年後の天平勝宝5年(753年)であった。
  3. 金堂は寄棟造のどっしりした建物で、前面の八本の円柱が堂に奥行を与えて美しい。本尊の虞舎那仏坐像(国宝)は天平時代の作。屋根は鎌倉時代に作りかえられ、当初の棟高よりも高くなり、軒の出も深くなった。天平時代はよりなだらかで、おだやかな屋根をしていた。
  4. 金堂の後ろには平城宮朝集殿を移建した講堂や、新田部親王家にあったのではないかといわれる校倉造りの宝蔵、鎌倉時代の鼓楼・礼堂・戒壇跡などがあり、これらの建物のそれぞれの美しさと、諸堂配置による構成美は、他では見られないものである。
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最終更新:2020年2月9日